2017年6月4日日曜日

2017/06/04 福音集会

みなさまこんにちは。6月に入り、日も長くなってまいりました。いかがお過ごしでしょうか。今日は聖書の福音、よき訪れについて共に考えることができました。テーマとなるみことばはこれです。
「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ローマ書116節)
福音とは何でしょうか。それはキリストに関することで、神の御子キリストが十字架にかかってくださったこと、そこで私たちの罪を代わりにおってくださったこと。そして、復活してくださったことです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ316節)

 どうして救われなければならないかということから考えてみましょう。テーマの言葉が記された当時のローマは人々が堕落しきっていました。贅沢を尽くし、食への強すぎるこだわりや権力争い、不道徳がありました。福音はこのローマの状況をも変えることができる神の力であるのです!実際、ローマでは権力者の中からもクリスチャンが起こってきます、ローマが変えられていくのです。私たちの中にも変えられるべき問題があるのではないでしょうか。
 では、このような問題の原因は何でしょうか。それは、神を神としないということであります。私たちは、私たちを生かしてくださっている神様がおられることを知ろうとしているでしょうか。探し求めれば明確に分かるようにしてくださっているのに、見ようとしないことは問題の始まりであります。神を神とせず、別のものを第一にすることこそ堕落の始まりであったのです。
「それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなりその無知な心は暗くなりました。」(ローマ書121節)
 この堕落した生活、私たちの姿をみている神様は、立ちかえってほしい思いから、私たちをなすがままになさいます。私たちは何も裁かれないから大丈夫なのではないのです。神様は立ち直るのを待っておられますし、立ち直らないものに刑罰があることは明確に示されています。
 しかし、初めのみことばに戻ってみましょう。福音こそ救いを得させる神の力です。なぜでしょうか。キリストの十字架は私たちのすべての罪を赦すための十字架でありました。神様の前にある負債はすべて支払い済みです。その証拠にキリストは復活されました。このキリストに信頼するものは救いを受けます。
 神様を軽く見て、神様がいないようにして生きていかれるでしょうか。ぜひ神様を認め、この救いのみことばを受け入れられますように強くお勧めいたします。

「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」(ローマ書425節)

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