2017年7月23日日曜日

2017/7/23 福音集会

今日も、伝道集会で開かれたみことばをご紹介します。

詩篇39篇4節
主よ。お知らせください。私の終わり、私の齢の終わりが、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができますように。
<7節>主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。

この箇所から、2つのことがわかります。
ひとつは、人生は儚いものだが、人はそれに気づいていないということ、もう一つは人は神様のことを知るべきであるということです。

神様は、唯一であり、生きておられ、この世界の創造主であり、霊的(人格を持った)存在です。

<ローマ人への手紙5章12節>
そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が全人類に広がったのと同様に、ーそれというのも全人類が罪を犯したからです。

とっさに考えなしにとった行動が、誰かにとって悪いことだったり、相手を傷つけることだったりしたことはありませんか?
人は誰でも、罪の性質があります。

そんな罪人を、神様はお見捨てになることはしませんでした。
神の子であるイエス・キリストは、神が人を愛するがゆえに、十字架にかかり、私たちの罪の身代わりになってくださいました。

この身代わりに、というのは、私が借金を負っているとして、ある大金持ちがそれを肩代わりして完済してくれる、というような状況に似ています。

イエス・キリストは十字架で死んで葬られましたが、3日目によみがえりました。目撃者は数人の弟子だけでなく、500人以上いたと記述があります。数多くの証人がいたのです。

イエス・キリストの十字架には、どんな意味があるのでしょうか。
科学技術が進歩して、人間そっくりの、いやそれ以上の知能を持つロボットが生まれるのも、現実味を帯びてきました。
そうなると、人間の価値は失われるのでしょうか?
いいえ、けっしてそんなことはありません。人間は、他の動物達とは違い、神様が霊的な存在として創造されたからです。神様は人を愛し、尊い存在としておられます。

<ピリピ人への手紙 3章20節>
けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

これらのことを信じた者たちの国籍は天にあります。地上の身体が死んだ後、天におられる神様のもとに帰れることを喜び、待ち望みながら地上の生活を歩んでいます。

この喜びをともに味わい、待ち望む人生を歩みましょう!

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