今日は「小さきものにも目を留めてくださる神様」というテーマでお話がありました。
聖書に書かれた神様はどんな方でしょうか。
人間が創った神様ではなく、人間を創られた神様です。
私たちの想像力をいくら働かせても、神様の真実を知ることはできません。
しかし神様ご自身が私たちに語ってくださっているのです。
私たちは何かを学ぶとき、それを理解したあとで行動に移すと思いますが、聖書の神様を知るには順番が少し違っています。
まず聞くこと、そして信じて従い、理解するのです。
ヘブル人への手紙11章6節にはこう書かれています。
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」
私たちが神様に何かを求めるのではなく、神様ご自身を求める必要があるのです。
「信じて従う」とは、キリストを救い主として受け入れるということです。
今日はメッセンジャーのNさんがご自身のお母さんの目線からお話をしてくださいました。
クリスチャンとして神様に導かれて歩んでこられましたが、困難や試練もたくさんあったそうです。
そんな人生を今振り返って思うことは、神様の恵みはいつも十分であったということと、神様はすべてを益としてくださる方であるということをおっしゃっているそうです。
ルカの福音書12章6節にはこう書かれています。
「五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前に忘れられてはいません。」
1アサリオンというのは300円くらいだそうですが、ここでは雀が大切だと教えているのではなく、雀よりも私たちは尊い存在だということを教えているのです。
神様は私たち一人一人のことを覚えていてくださるお方です。
私たちがするべきことは何でしょうか。
ヨハネの福音書15章4節にはこうあります。
「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」
神様ご自身は私たちにこう言ってくださるのです!
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」ヘブル人への手紙13章5節